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人生の使命に気づく方法|ピアノに導かれた私の経験

目次

はじめに|使命とは?本当の道に戻るタイミング

今でこそ、

本来の自分を取り戻しつつありますが、

なんとなく苦しい。

苦しいけど、追い込む自分。

「継続は力なり」がモットー。

努力家

と本当はいっぱいいっぱいだったのに、

病気になってまで頑張り続けて

しまった過去があります。

そんなとき私は「使命」という

言葉を知りました。

魂が、この世に体験しに来たこと。

あなたは何だと思いますか?

実は、『こどものころの夢』だったりもするんですよ。

ケーキ屋さん、

お姫様、

お花屋さん、

テレビの中の人、

歌手。

今日は、

私の「使命に戻される」体験

をした話になります。

よかったら、最後までおつきあいください。

この記事を書いた人

音楽につよく惹かれたこども時代

私とピアノの出会いは、4歳の時。

両親は私にピアノを習わせる予定は

なかったのです。

なぜなら、全国転勤の可能性があったから。

「ビビっと」

くる体験をしたのは、

私が、幼稚園傍のお友達の家に

遊びに行ったときでした。

大きなピアノが置いてある

お家でした。

お友達が、

習っていたピアノを聞かせてくれたのです。

当時4,5歳。

多分、普通の感じだと、

「わぁ上手だね拍手」

とか、

「よくわからないからポカーン」

だと思うんです。

私の行動は突拍子もないものだった

そうです。

「私も弾く!!」

お友達の場所をとってしまって

自分がデーンとピアノの中央に

座る。

そして、見様見真似で

あっという間に同じ曲を

弾いてしまったのだとか。

それは覚えていないけど下手だった

と思います。

でも!

当時、妹の世話でその友人宅には

来ていなかった私の母が

お友達の母から、言われたそうです。

「Naoちゃん、ピアノ習わせてあげて!」

ということです。

その時、タイミングよく

当時住んでいた社宅に

YAMAHA音楽教室のお誘いが。

(ザ・昭和のスタイル。訪問型の営業さんが

玄関先にいらしたのだそうです。時代を感じます)

習わせる予定はなかったのに、

申し込んでくれた母、

狭い社宅にピアノを買ってくれた親。

ありがたいですね。

そして、ヤマハのアンサンブルコースが

私の出発点でしたが、

みんなのペースに合わないことから、

当時の先生が、

普段のヤマハの教材の他に、

プラスαのピアノ教本を

プレゼントしてくれて、

耳がいいから。耳で聞いて

どんどん自習してごらんと

いうことでした。

その後、3年に1度は転勤がありましたが、

引っ越しても続けられるように

環境が整っていきました。

ヤマハのない地域への転勤もありました。

それでも、個人の先生を探し、

続けて続けていたそうです。

好きだからやめる必要がなかったんです。

ピアノの方に、

道が整備されていたのです。

抵抗さえしなければ。

小学6年生の転勤先では、

武蔵野音楽大学の先生のご自宅で

レッスンを受けていました。

丁寧に指導をしてくださる方でした。

音大進学の指導もされている先生でした。

コンクールへのチャレンジもそうだし、

江古田にある先生の恩師の方の

ところに、地方から遠征してきて

レッスンを受けたりしました。

この先生からは、たくさんの

きっかけを与えられました。

好きだから、

練習が全く苦にならないのです。

いっぱい弾きたい。

いつでも弾いていたい。

相乗効果で、上手にパフォーマンス

できていたのでしょう。

その先生から、

「音大生になるなら、6年生の今決断をし、

決断したなら、私がそのように指導を

スタートする」

と。楽典の勉強も始まっていましたね。

罠1ー家族の反対

その時、親戚からやんわり「ちょっと待った!」

の意見が入りました。

強い反対ではないし、

愛のこもったアドバイスだったので

素直に聞きいれたと思います。

「音大を出ても、食べられるようにはならない」

「音大をでても、レコード店の店頭で働くしかない、そういう人たちをいっぱい知っている」

と。

「これからの時代は英語だ」

「英語ぺらぺらが理想だ」

素直な私は、素直に

「ああ、そうなのか」

と簡単に、親が喜ぶ方へ

親戚がうなずいてくれる方へ

従いました。

こどものまわりにいる大人からの

こういったアドバイスって「ありがたい」

と聞いてしまうと思います。

魂的には「違うのに。」と

怒っていたかもしれません。(笑)

その当時の先生にははっきり

「私は大学に進学するから、音大にはいかない」

と告げました。

無理もありません。

小6で、音大に行くか行かないかを

決めるって無理でした。

転勤と、その先生のご結婚・出産

がきっかけとなり

また私は別の地域へ。

ピアノから離れた時期|使命ではない方向に進んでいた頃

高校になると、

桐朋音大先生宅のご自宅で

レッスンを受けることになりました。

先生ご自身が演奏活動で

忙しく、とても綺麗な先生で

憧れました。

罠2ー周りの固定観念に流される

「大学進学」

という固定観念が私を惑わせました。

私が目指した大学は

津田塾大学といって、

レベルも高く、英語を

学ぶ大学でした。

まさに、あの親戚の「英語ぺらぺら」に

影響を受けていたように思います。

英語ぺらぺらになったら、認めてもらえる、

ほめてもらえるという考えだったのでしょう。

大学を見学したときに

その時、初めて、

続けてきたピアノより英語が上という

選択をしたことがありました。

1日8時間の猛受験勉強の末、

1発合格。

併願なし。

見事、第一志望

(とうか他を受けないという無謀ぶり)

で大学に進学しました。

その年のピアノの発表会は

(だいたい、曲は先生が選んでくださっています。)

ブラームスのラプソディの2番 ト短調。

練習不足もあってボロボロでした。

苦い記憶です。

学校にいくようになり、

卒業・進路・進学

こういったタイミングで自分自身

まだ準備ができていないときに、

モラトリアムして、決めなかったりすると、

親や友人に「どうするの?」など言われて

焦ったりします。

罠3-周囲に流される

時折、「なんで音大にいかなかったのだろうか」

と後悔することもたくさんありました。

でも、それよりも

周りの就職活動に、あおられて

しまいました。

当時の私は、摂食障害と

勉強のしすぎで机の前にも座れなく

なっていて、かろうじて

授業だけでて単位を落とさなかった

悪く言えば瀕死の状態で、

周りの生徒と同じように、

就職活動をつづけました。

そして、運悪く?なのか

運命の計らいなのか?

就職超超氷河期で

30社ぐらい回って落ちました。

出鼻をくじかれた、と

長年苦しみましたが、

スピリチュアルな生き方を

身に着けてからは、

ああ、すべてはこのためだったんだな

と思うことがあります。

余談:すべて、無駄がない。

「ピアノを弾けるけど、音大生じゃないから

教えることができない」

とも、思ったりしました。

罠4-自己暗示、見ないようにしてしまう

「ピアノは趣味」

と心のどこかで言い聞かせていたところ

もありました。

「好きな事ばかりしていてはいけない」

(気がする)という心のささやき。

こういったものも罠ですね。

慌てたり、ぶれてしまって

ひょいっと別の道に入ってしまいました。

英語のプロになろうとして、

猛勉強!!する予定だったのですが、

第一の強制終了入りまーす。

強制終了1ーメンタル不調

地方からの受験で、寮に入りました。

初めての一人暮らしで、親元を離れ、

ホームシック。

ピアノもできる状態になく。

摂食障害と、

今でいうところの「燃え尽き症候群」

に陥り、

机の前に座ることができなくなっていました。

とにかく、周りのみんなが、

「教員免許」

「語学留学」

「海外旅行」

など華やかな計画を遂行するなか、

私はひたすらカロリー計算とか、

食べ物と向き合い、

自分のメンタルのアップダウン

を支える日々。

スクールカウンセラーにも

お世話になりました。

それでも、頑張って這って大学敷地内の

寮から授業に通うことだけ。

留年がなかった。

本当に今ほめたいです。

ぎりぎりの精神状況でした。

応援されていた1ーピアノはあった。

ただ、寮には1台グランドピアノが

ありましたね。

高校時代の先生から、上京時に

紹介していただいたのが、

今のピアノの先生です。

桐朋音大名簿から、

紹介していただきました。

指導者にこだわるという考え方は、

当時華道や裏千家茶道の

師範を極めた母の

こだわりでもありました。

先生のレッスンは厳しくて、

いつも泣きそう。

どんどん自信もなくなりました。

ボロボロのメンタルのまま、

呆然状態でなぜかレッスンは受けて

いました。

足が、先生のところに向かうという感じ。

記憶がありませんが、先生のお宅に、

レッスンだけはいっていた。

誰も弾かない、寮のピアノ室で

私は病んだ心をいやす日々だった。

ボロイ寮に、弾けるピアノがあった。

それも、すごい応援されていました。

強制終了2ー英語がうまく発揮できない

私の魂は何に怒っていたのでしょうか?

今ならわかります。

大事に続けてきたピアノをポーンと置いて、

英語を頑張ってしまったことです。

英語を頑張ることは悪いことではありません。

私の魂が、『私が頑張ることじゃなかった』と告げていた

ただ、私自身が自分の自然体でできることを

投げ出して、頑張る、追い込む、比べる、資格を躍起になることに

エネルギーを注いでしまった。

それによって、

心のバランスを崩しているのに、

英語の大学に進学したから、

英語を頑張る道に

なってしまった。

そこですね。

なお、私は魂の怒りに気づかず、

職場では「英語系の大学卒業」

ということで、

英文カタログ作成という

自分では「イケている」と

思えるような

仕事をもらって

会社員にしがみついていた時期が

ありました。

5年半もです。

辛いのに、耐えた。

それが、お局さんからいびられ、

英語の能力を否定され、

仕事を減らされ、

閑職に追い込まれるという体験をしました。

本当の使命って、気づいたらやっていること、らくらくできてしまうこと。軽い感じ♪と後で知りました。

今、私はこの出来事は

「お局が悪い」「ひどい会社だ」と

いうことを強調したい訳ではないのです。

もちろん、根に持った時期もありましたが、

使命かそうでないかという

見方ができたときに、

「ああ、そうだったのか」

と思えるようになったのです。

つまり、私がいつまでも間違った道にとらわれて間違った道のまま頑張り続けたことによる

私を守ってくれる存在からの愛の「いい加減気づけよ」サインが

いっぱい散りばめていたなと思います。

うまくいかなかったのは『いい加減気づけよ』という愛のサインかも?!

頑張り屋で、真面目なタイプだったので

健気に苦しい思いをしながらもがんばり

続けてしまったんですね。

北風と太陽で、「北風に向かって、コートを

着こんで歩いて向かっていく人」になっていました。

強制終了2ー海外転勤に帯同になった

今振り返ると、

「そうだったのか」と笑いたくなる

ことが、そこにもここにも

ありました。

本当に、それだったんだね。

英語圏ではなく、英語の通じない

「中国」「韓国」への海外転勤への

帯同をしました。

英語どころじゃなく、

英語から強制的に離れることが

置き、中国語・韓国語を頑張る

日々を経験して、

もう英語どころじゃない※状況に

なりました。

※中国って面白い国で、上海万博前の上海だったんですが。公共バス158(ヤオウーバー♪)の運転手さんが、超スピード狂な方で。降りる予定の停留所でおろしてもらえなかった経験をしたので、必死で中国語を覚えました。降りる前になったら、「下シャー」っと大声で叫ばないと止まってくれなかった。ピンポンも通用しない。そういうことです。だから、英語でごちスマートに乗ってる場合じゃなかったんです。命がけ。

どんだけサインを受け取っていたんだろう。

それでも、壊れた機械のように、

準1級、TOEICなど英語にこだわって

しまう日々は続きました。

傷ついた自分を英語で挽回しようと

躍起になっていたんでしょうね。

最近になって、よーーーーうやく

私が頑張る道は「英語」じゃ

なかったと認めました。

認めましたからね、宇宙さん♪

なさそうで、でもピアノはあった…

中国では、現地日本人が集まる

合唱団のピアノ伴奏をしました。

上海音楽大学のステージで

スタインウェイのピアノでした。

韓国では、自分の出番を自分で

つくっちゃえと、

現地のYAMAHA大人のピアノに申込をし、

韓国のステージで演奏を果たしました。

(ヤマハの現地在住の日本人の先生、

私の目的がギラギラしていて、変だったでしょうね。

レッスン目当てではなく、

発表会目当てで受講していました。

すみません。暴露します。)

でも、理由はどうであれ

韓国でステージ演奏もかなった。

こうなったら、もうピアノが

楽しみでしかなかったです。

人生の転機のサインとは?|ピアノの道に戻される?!

韓国在住中には、

桐朋音大の先生から、

実家にお手紙をいただきました。

尊敬する先生直筆のお手紙、

天気でもあり、宝物。

異国の地で

仲間も、師からも離れて

どうしたものかと思っていたころ、

応援されていた2ー先生からの直筆の手紙

「ピアノは捨てないでね」

「あなたも、チャレンジしてみませんか?」

という日本での大人向け

ピアノコンクールへの

出場お誘いでした。

環境が海外になってしまって、

電子ピアノしかない中で、

仲間も、広い、勝手のわからない

外国で見つけられない中で、

たくさんの生徒さんを

抱えていらっしゃる

超一流のピアノの先生から

直筆の手紙・・・

「ピアノ、捨てないでね」

これが、受け取ったメッセージ

でした。

遠隔ではありましたが、

参加を決めて、

韓国ウエディング通りで

ドレスをレンタルし、参加が叶いました。

そのとき、金賞受賞。

ドレスを返しに行くとき、

サイズお直ししてくれた

ショップの韓国人の店長さん、

スタッフさんが喜んでもらえました。

ミラクルのようにこういう

ピアノに関する事

は、苦労するよりも簡単に

夢のように実現しました。

飛行機チケットの手配とかも自分は

やっていません。

家族がやってくれました。

今、振り返ってみてある意味、すごいです。

この時の口癖は、まだ

「ピアノは趣味」でした。

ピアノに戻ることになった理由|導かれていたような体験

こういうとき「応援されている」

っていうことなんですって。

まだまだ根強く英語の方向に

向いていたのは単なる執着。

これは、しぶといもので

一見頑張っているから

アドレナリン出てしまうのですが、

これは使命とは異なるものです。

それがはっきりしました。

使命に向かって進んでいる時。

それは本当にわかりづらいもの。

はっきり「使命です」

ってわかっていたら

悩む人はいないのではないでしょうか。

ピアノはあくまで趣味として

脇において、

英語の先生Be studio

にエントリーして資格を得たり、

公文の先生になろうとしました。

それも、違うということが

訪れます。

強制終了3ーいよいよ就職か!間際にダメになる×2回

世の中的には働くよね!

Be studioや、

公文の先生。

長男が年長さんに入ると、

『英語』(またか!私の英語への執着がはげしい。)

働こうとして色々エントリーしたり活発に

行動しました。

ここでも、あくまでピアノは「趣味」

と位置付けていました。

選考はクリアしたのですが、

最終的に働く場面になって、

長男の預かり環境が整わなかった。

それで、泣く泣く辞退する経験をしました。

能力はないんじゃないんだよ。

でも、うまくいかない。

応援3-自ら気づくように仕向けられた?!

ここまでくると、

さすがになんか道が

間違っているんじゃね?と

さすがに。

さすがに。

「継続は力なり」

「努力は裏切らない」

セオリーに合わない自分の

繰り返されるパターン。

なんかおかしいぞと。

それで、「使命」に

興味を持つに至ったのです。

使命のサインに気づく|ピアノを活動として据えた時・・・

使命は、気づくと当たり前のように

やっているもの。

軽々とできてしまうこと。

苦しいもの、必死なもの、

追い立てられるものとは違う。

そう思ったとき、

今まで脇において「趣味だから」

とどこか、勉強や社会的な役割

ばかり重視して、自分の活動を

軽くみていたこと、

心から反省しました。

そして、ピアノに全力で向き合うと決めたとき。

✅家族がいるから、ピアノなんて認めてもらえない

✅ママだから、ピアノなんて弾けるはずがない

そう思って、我慢してきたこと、

思い切りやると決めたら、

重たい扉があいたみたいに。

✅その手紙をくれた恩師が、

レッスンを引き受けてくれた。

✅タイミングよく、コンクールの

申し込みができた。

✅絶対これは一番無理だと

ブロックしていた、幼い次男が

早く寝て夜に練習できた。

✅こどもが健康で、

欠席がなく、保育施設が

十分に利用できた。

一番難しいとおもっていた

時間の壁をクリアし、

師匠にもレッスンを快く

していただくとともに、

私に合った選曲をしていただき、

正直ピアノ弾きたいっていったら

何と思われるかなと

引け目を感じていた夫が、

本番当日に重なってしまった

幼稚園のイベントなどなど

会社を休んでまで代わってくれたもの。

自分の思い込み、固定観念に

自分を縛って、

ピアノを封じ込めていた。

それこそが間違いだった。

使命。

全力で向き合っていくもの。

全力で楽しんでいいもの。

そういうことになります。

それに対して、英語はなぜ

私の使命ではなかったのか。

使命=人を助けたい。

動物を守りたい

子供を育てたい。

地球を守りたい。

こういうことだったりしますが、

私の英語ってなんでしたか?

そう。

お金を稼ぐ。

「ピアノでは食っていけない」

「食っていける仕事をしろ=英語だ」

というその、最もそうな

親戚の意見に従った瞬間から、

英語につながるすべてのものが

1,続いたにせよものすごい苦しいものになったか、

2,人間関係もボロボロで周りが敵だらけで

一刻も早くやめたくなるようなものになったか

3,ある程度頑張るだけ頑張って

どんだけがり勉しても

活躍の場が全くないとか。

まるでハサミでちょん切られるように。

そういう悪夢のようなことばかり

だったということです。

これが、間違った道に進んでいた

場合のある意味恐ろしい、

というか愛の、真の強制終了。

強制修正だったのです。

まとめ

ここまでお読みいただいた方、

ありがとうございます。

いやぁいくつもの罠とか

迷い道とか、自分自身の思い込みによって

随分遠回りしたように思います。

わかりづらい。

今でも、

ピアノ、音、音楽ということは

わかったけれど、

それをどんな風に形にして

人に役立てていくのかは

まだ道の過程です。

多くの方もそんなことがあるのでは

ないでしょうか。

私がいいたかったことは、

スピリットとか、ガイドさんとかが

あなたに「気づいて」サインを

送っていたら、

そのサインを見逃さないで

いただきたいという

好きなことを続けていく

だけ。

自分が好きなことを否定してはいけない

今の社会では、

今の学校では、

「私は私の好きなことだけやっていきます」

って言えないことありませんか?

好きな事だけやっていたら

わがままと思われるかも

しれない。

そう思われることが、怖かった。

実は、それも罠かと

思っています。

心の中でも、実行すればいいと

思います。

様々な行動を振り返ると、私の場合は「稼ごう」「収入を増やそう」「収益化」等と思って走り始めた全てのものが宇宙さんからダメ出しいただきました(笑)ってことですね。

私が、提供する

Reflect☆LightTarotの

リーディングでは、

潜在意識を読み取ることを通して、

ありのままの自分が

何を望んでいるかということを

探るセッションを行っています。

気になった方、

ぴんときた方はぜひ

プロフィール欄ご覧くださいね。

もしあなたも、「使命をみつけたい」とかんじているなら

試してみてほしいこと

  • 最近繰り返しおこることを思い出す
  • 昔好きだったことや、夢中になっていたことを書き出す
  • 直感的にわくわくすることを書き出す

小さな行動でも、次のサインが見えてくる

かも。

人生の目的は、力んでしまうもの

ではなく、

自然な流れの中で見つかるものです。

音楽チャンネル更新中

インスピレーションを高めるという

手段として私自身クラシック音楽を

奏でている時に

魂が震える体験をしています。

やっぱり、「使命」とか

自分の進むべき道は

どっちなんだろうということに

なったとき。

①誰かに聞く

ももちろんありだと思います。

そしてもう一つ、一番

大事に思ってほしいこと。

自分の声を聞く

自分を信じられるからこそ、

自分の声を聞く。

つまりそれは直感に従うということです。

自分の直感に従うと自分の内側に力がみなぎる

私は周波数音楽を演奏し、

心を整えたり、

心を切り替えたりする場面で

活用できるようにしたい

と思っています。

よかったらチャンネルにも

遊びにきてください。

チャンネル名は、

Intuitive Harmony-Asteria Lyra

です。

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